学歴って何のため?
昔はみんなが希望の大学に行ける時代ではなかった。でも少子化が始まり、大学全入時代が来ると言われ、世間では「そのうち学歴なんて関係なくなる。個人の資質や才能がモノを言う時代が来る」などと言われていた。
実際、学歴なんて役に立たなくなって、個人レベルの資質が問われる時代が来るんだろうと思っていた。
実際そういう時代になってきているのだろうが、未だに学歴信仰って根深く残ってないか?高学歴の定義に当てはまるかは別として、有名大学を卒業した身として感じたことを書く。
学歴はラベリングのモノサシ
最近、高学歴を売りにした芸能人が回答者として出演しているクイズ番組をよく見かける。〇〇vs高学歴チームなどというくくりがよくされている。
ああいうのを見ると、世間ってホント学歴好きだよなぁ〜と思う。
ニュースのコメンテーターの経歴にも出身大学が紹介されているし、選挙の立候補者は必ず出身大学が新聞に載っている。
あれは何のためなのだろう?学歴が関係ないのならわざわざ知らせる必要ないんじゃないか?
なぜ人が学歴とセットで紹介されるかというと、学歴はその人のレベルを示すモノサシだからである。よく知らない人について判断する時、ひとまず学歴のフィルターを通してその人の基準値を把握する。
学歴は義務教育9年間+高校時代3年間の集大成を示しているからだ。
学歴ほど日本人に平等に与えられたモノサシは他にはないだろう。
もし国民全員に6歳からテニスが義務付けられていたとしたら、JOPランキングで階層化できるのでテニスはその人の能力を示す1つのモノサシになる。
だけどスポーツを義務化するのは難しい。だからこそ学歴が階層化に適している。
いい大学を卒業していれば、少なくとも12年間は努力してきた人間として認められる。
別の話になるが、日本人は血液型で人を判断するのが大好きだ。あの人はA型だから几帳面だとかB型だから自由人だとか勝手に決めつけて納得することがあるだろう。
血液型と性格の関係について医学的にはなんの根拠もないのだけど、なんとなく当てはまるケースに出くわしてしまえば、血液型をラベリングに使用したがる。血液型は4つしかカテゴリーがなく単純なので、わかりやすいのだ。
学歴も血液型と一緒である。
もし東大出身だと聞けば、頭がいいだろう、年収が高いだろう、仕事ができるだろう、などと勝手にフィルターをかける。実際、東大出身者は仕事ができて年収が多い人の割合が高いからである。
コメンテーターも学歴が高い場合に限って紹介されるのは、「この人のコメントはある程度の平均値よりも高い学識に基づいていますよ。」という信頼を与えるためでもある。
学歴は仕事の能力と相関するか?
学歴の高さと仕事の能力は、ある程度相関している。なぜなら、高い学力を誇る人はその学力を身に付けるために人より秀でた何かしらの能力を持っているからだ。
・暗記力
・情報処理能力
・自己管理力
・体力
・集中力
・計画力
・目標到達力
・吸収力
・理解力
・分析力
これらは勉強に必要な能力だが、仕事においても大事な能力だ。よって高学歴の人=仕事ができるという構図はあながち間違いではない。
もちろん全ての人がそうだとは言わない。どんなことにも例外はある。しかし偏差値の高い大学に入るための能力が、仕事にある程度直結する確率が高いのならば、企業はリスクヘッジのために学歴の高い方の人間を選ぶだろう。
たかが30分程度の面接では企業はその人となりを判断できないのだ。
大企業に入りたいのなら学歴は必要
大企業でのバックグラウンドでしか実現できないことはたくさんある。自分のやりたいことを、ある有名大企業が実行していたとする。必然的にその企業に就職したいと思うだろう。
しかし有名大企業への就職は有名大学出身者に有利だ。有名大学にはリクルーター制度がある。これは就活の正規のルートからは外れているかもしれないが、有能な人間をてっとり早く獲得したいと思えば理にかなった方法だ。就職先は大学名である程度振り分けられてしまう。
学歴があれば、ないより選択肢が広がる。そして、身を置くことができる環境が広がることは間違いない。
学歴と人間は全く相関しない
学歴があるからといって人間的に優れているかといえばそれは決定的に違う。大学で人間の価値は決まらない。
高学歴の人間の中には、学歴が人間性まで決定づけてくれると勘違いしている人間がたまにいる。こういう人間は、12年間の集大成に頼ってその後の人生を送る。
人生は大学を卒業してからの方が長いが、他に特出したラベルがないから学歴がアイデンティティになってしまう。これは最悪のケース。
学歴は単なる学生時代の勲章に過ぎないのだから、その後も自分を磨かなければ陳腐化してしまう。
高学歴の人間はここを勘違いしやすい。医者にもこんな人間は結構多い。医者があらゆる職業の中で頂点であるかのように決めつけている。
高学歴で大企業に勤めていても、その後ろ盾を失ったらただの人になる。学歴は何の役にも立たない。就活で使ってしまえばそれで終わりだ。
高学歴のデメリットは、そのラベルにすがりすぎて世間と自己の評価にしばられることである。たいして役に立たない栄光にすがってもいいことは少ない。
学歴のラベルを手に入れても、さらに人間性と+αの能力を磨くことが大事だ。
「学歴+英語ペラペラ」はそれぞれが日本ではスティタスの高いラベルなので、何かと優位に生きて行ける。
芸能人を見ると
・学歴+面白い
・学歴+外見が美しい
などは面白さや美しさが平均程度でも、学歴が後押ししてくれている人がたくさんいる。
学歴が全く必要ない人は、凡人でない人
学歴が必要ない人間はたくさんいる。
オリンピック出場が期待されるほどスポーツに秀でているとか、ショパンコンクールで優勝するほど音楽の才能があるとか、なにか特殊能力のある人間は学歴の付加価値は低い。
情熱大陸やNHKプロフェッショナルで取り上げられる人は圧倒的に何かに秀でている。学歴はその才能には敵わない。
菓子職人で生きていくとか、一流の大工になるとか、ネットの中で稼いでいくとか、高学歴はかえって修行年数の邪魔になるだろう。ただどの道でも創意工夫のできる人間でないと人より秀でることはできないだろうが。
結局
学歴はあったら困らない。だがそれは人によりけりだ。
高学歴なら幸せな生活を送れるかというとそうではない。どんなことでもいいから、自分の強みを持っている人の人生は充実している。
日本人はラベリングが好きなだけで、その人が幸せなら学歴は関係ないということにつきると思う。
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